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日本最初の西洋女医

あなたは「日本最初の西洋女医 楠本いね」をご存知だろうか
1823年長崎出島にあるオランダ商館の外科産科医として来日したドイツ人「シーボルト」と引田屋の遊女「楠本瀧」の子である
 2人はと言うと出島で結婚生活を送り1927年「いね」が生まれる しかし1829年シーボルトは国禁である日本地図を所有していた為永久追放された その後2人共再婚することになる 1859年開国となりシーボルトは長男「アレクサンダー」を連れて再来日を果たし再開する
「いね」は医学を志し10台半ばよりポルトガル語を学び かつてのシーボルトの門人宅を訪ね支援を求め宇和島藩お抱え医師の「二宮敬作」に外科を学んだ
また二宮は産科医の勉強を勧め 備前の同門「石井宗謙」に産科医術を7年間修行するが宗謙にレイプされ女子を出産する
 その後「いね」は親子で長崎に帰郷するも産科医術の勉強を続け 明治3~10年まで築地1番地で産科医を開業した
宮中御殿医にもなるなど新時代にふさわしい医術の腕を振るって「オランダおいね」と名声を馳せた
 私が「いね」の存在を知ったのは 仕事をしていてテレビから流れて来た情報だった
何と言っても 今と違って時代は明治の初め まだ女性の人権が認知されていないにも係らず 強姦され 子供を育て それでも女で一つで生活するなど苦痛は計り知れない
身をもって日本の産科医療の第一線を担ったのは間違いない事だろう
 また産科医と産婆さんの違いが世間では余り知られていなかったようだ 明治17年に政府で女医を認可するまで 女医としての使命を一人全うした事は 女性の基本的人権が行使されたのは昭和20年だから 考えただけでも気が遠くなる思いだ
 時代を変える「いね」の意志の強さと継続が 力強く感じられ絶句と共に涙が溢れ出し止らなかった

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