記帳代行の『日本記帳代行サービス』

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座右の銘

これを知る者は
これを好む者に如(し)かず、
これを好む者は
これを楽しむ者に如かず。

論語の一説に載っている、この言葉にずいぶん励まされてきた。
仕事に於いては最初仕事を覚えるだけで精一杯だ
色々比較したりされたり仕事が嫌になり泣き言を振りまき他人の性にしながら様子を伺う
仕事が覚えてくると余裕が出来 仕事が好きになるが仕事も奥が深く更なる追求を要求され また反復のため慣れて飽きてまたまた仕事が嫌になるこの期間が一番長いのだ
幾度と涙し、幾度とくじけ、幾度と目標を見失いながらも歯を食いしばり自分はこれだけやっているとアピールする
ある者は新しい活路を見出す人、または守る人様々だが そこから一つ乗り越えると楽しさの階段が待っていると私は思う
私が在籍した楽しみながら仕事をする経営者たちを紹介しよう
①はじめての入社は会計事務所
先生はジャンルを問わずよく本を読む。毎日5~6冊は読んでいると思われるし 朝は4~5時位から本を読み5時過ぎると寝坊と自分を追い込んでいる。
よく講師もお願いされまたまた本を読む。質問しても分からない事が無い。
出来の悪い私を教育するのは大変だったと思うが、毎月勉強会に参加するのだが参加する前に質問数を決めていかなければならず、いつも最前列でカセットテープを録りながら最後の質問で約束の質問数を消化しないといけないのだが20~30質問すると講師の先生からも嫌がられた記憶が 今でもよみがえる。
今度 その勉強会の報告を事務所で全員にレポートを作成して発表会を開き報告するのだが、勉強会は仕事、話し方、自己啓発など色々で 半額負担で何でも参加できるシステムだ。内容によっては顧問先を招待するなどして報告会を開いていた。
発表会は1~2時間程度だが、先生の補足がいつもその倍の時間だ 叱咤激励でなく叱咤叱咤…のオンパレードだが一年も過ぎると慣れて来るのは不思議だ。
先生の真骨頂は他人にノルマを与えるだけでなく自らもノルマを作り共にスキルアップする事を楽しんでいる。だが毎日午前様であったのは言うまでも無い。
②次も会計事務所だ
先生はいつも日本全国 はねまわっている。
会計事務所と出版社を含め色々な事業で走り回っているのだ。
私達には余りああしなさい こうしなさいと指示は出さないが言葉だけでなく行動でも示している。一回同行しただけで挨拶では机の高さより頭が下がっているので言葉もしかりだが腰の低さには全員驚いてしまう。それが人脈人望につながっているのだろう。
いま家族に任せている事業も 売上が落ちると直ぐ出動しあっという間に回復させるのだ。
またマンション経営では清掃は自社全員で行うのだが空室のトイレ掃除は強要ではないが内外素手で行なわれ怒りを買っていた。しかし私は先の会計事務所で禅寺3日の座禅修行を受けた際なめても良いくらい素手で洗いなさいと教育を受けたため余り苦にはならなかった。昔は人糞を発酵させタイヒにするため度合いをなめて判断していたようだが若い人達の納得を得られるにはやはり難しそうだ。
他の事業もあり色々と動き回ることが自分の性分にあった仕事の楽しみ方のようだ。
③次は不動産会社だ
社長は常に日本と世界を駆け回っている。
不動産の粋を越えた斬新なアイデアが次から次と湯水の如く湧いて来るのは 旅行好きと言うものでなく、そこで自分が住むのであればその地域や特徴を活かしたライフワークを取り入れた考え方だ
しかしほとんど条例によって阻まれてしまうのだが、インスピレーションを直ぐに行動に移す所の度胸と器量は専門とする仕事では成功の必須条件であると思う。夢を追い求め理想の不動産業を目指しながら夢や感動を与えようとしている意気込みは計り知れない。
現地を見て体感してイメージしているからこそ 話を聞くだけで社員を含め心が豊かになり希望が湧いてくるのだ。
私は言うと、よく人から悩みの無い人間だと言われる。資金繰りを除くとその通りであるが至って火の車だ しかし悪い事も良い事に考える事が出来るのが私だ。
火の車は仏教の8吉祥のひとつ「法輪」(牛車の車輪に火が付いた模様)円転して止まらない事だそうだ喜んでいいやら悲しんでいいやら毎日自問自答の日々なのだ
ちなみに今私は喜んでばかりも居られない心境なのである
それは京都の町を造る際メインストリートとなる路の真中に六角堂があり移転させられ今は六角の石が埋めてある。六角堂の意味は心の内に在る六つの角を取り円くなる事を祈るとのこと その一つに喜びがあるのだ ちなみに「惜(お)しい 欲(ほ)しい 可哀(かわ)い 憎(にく)い 喜(うれ)しい 怒(はらだつ)」の六つだ浄土真宗の開祖の親鸞もこの堂にこもり修行したそうだ。高僧な人でさえ悩んでいるのだから凡人の私に充実した精神状態が訪れることは一生無い事だが 一つの言葉で気持ちが救われるのであれば 楽しみ探しも高僧のようにはなれないが 一生のモチベーションとなることだけは間違いないだろう。

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