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吉田松陰『志は高く』

得意先の山口県出身者と話をしていて、有名な人材が多い県はどこかで 明治維新後はやっぱり山口県だねと言う事で盛り上がった。 

じゃ、どうしてそう言う人材が多く排出されたのかと尋ねたら、やたら何に対しても興味熱心な人が多かったからじゃないかと話していた。

私は、息子が小さいころ「なんで」「どうして」と、イライラするまで繰り返し攻撃された事を思い出し、嫌がられた人達の集まりかと頭をよぎってしまいました。

ではその興味熱心な人達が集った場所はどこか、「松下村塾」だと思う。
主宰者は「吉田松陰」(叔父の玉木文之進が開いていた私塾「松下村塾」を引き受けた)

私が感動した名言は
飛耳長目(ひじちょうもく)
塾生に何時も、情報を収集し将来の判断材料にせよと説いた
飛耳長目帳として、松下村塾の柱に掛けてあったノートで、大坂からの商人や交流のあった人々からの情報を書いて綴っていたようだ。

本人も自藩の情報を収集するとともに、東北から九州まで各地の動静を探ったり、黒船来航の折は海外渡航を企てたり、繰り返し幽囚されるも命懸けで自身の思想を全うしようとしたとは 名を残す人達の生き様を感じます。

今は情報もお金で解決できる所も多くなったが、右往左往しながら行動できずにいる私なんかは爪の垢でも煎じて飲みたい気持ちです。ただ訪問により仕事が出来る事は、お互い情報交換が出来る喜びで感謝に耐えない気持ちであります。

松蔭の名語録と言えば

「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」

が有名ですが、若干30歳の若さで処刑になった若者の言葉とは到底思えない維新の先駆者だったんですね。

その思想が、高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・山縣有朋・木戸孝充ら約80人の門人を集め、松下村塾出身者の多くが明治維新後に政府の中心で活躍したため、松蔭の思想は日本の対外政策に大きな影響を与えたと事はうなずける。

■松蔭語録
●至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり
(至誠をもって対すれば動かすことができないものはない)
●志を立ててもって万事の源となす
(志を立てることが全ての源になる)
●体は私なり 心は公なり 私を役して公に殉(したが)う者を大人と為し 公を役して私に殉(したが)う者を小人と為す
(自分を使役して、道を行なうことに心がける者が大人であり、反対に 自分の欲望を満足させる事を目的とする者は小人である)
 
あ~ぁ やっぱり凄いな~ぁ!

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